February 11, 2009

ギャップイヤー

学会で外国に行くと、日本の常識が世界の非常識で、履歴書に一日の穴があくと真人間じゃなくなっちゃう、なんてことを考えているのは、日本以外には世界のどこにもないということに気づいた。あるとき、学会で会ったアメリカの大学の先生に聞いてみました。「あなた、いつも夏にヨーロッパの学会で会いますよね。僕は日本から四泊五日くらいで来ているけど、なんでいつも一ヶ月も滞在できるんですか?」

そうしたら、その人は、驚愕すべきことを僕に言った。そもそもその大学では、年間十ヶ月しか雇用関係がないんだ、と。正規の教授なのに、年間十ヶ月しか雇用関係がない。(中略)それで、ヨーロッパやアメリカには全然違う常識があって、「空白」が平気であることに気づいた。

(中略)

このギャップイヤーというのは、大学を卒業したあとに取ってもいいんです。日本だと、新卒プレミアムというのがあって、新卒の人が採用試験の場で優遇される。本当はおかしい。その人が優秀だったら、どんな経歴でも採るべきで、そうでないと株主に対して申し開きができない。単に大学在籍中で三月に卒業見込みだという人をオートマティックにとっていたら、ベストな人材をとれないじゃない。日本の企業システムはいろいろの面でおかしいんだけど、まあそれはおいておいて、イギリスでは大学を卒業してから就職するまでにギャップイヤーを取る人もいる。それからキャリアギャップと言って、仕事の節目節目に、一年くらいギャップイヤーを取る人もいる。

『 フューチャリスト宣言 』(茂木健一郎 / ちくま新書)

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February 9, 2009

生命原理に反することはうまくいかない

オープンにすることは、人によっては不安や恐怖の対象になる。自分というものをかたくなに守っているのが、一番楽なんです。でも、過去の歴史でそれなりに名をなした人というのは、みんなオープンにして、外界とのやりとりのなかで時にはぐちゃぐちゃになりながら、そこを乗り越えて、偉大なことをなしとげてきた。

要するに、オープンにして偶有的なプロセスでやっていかなければ、生命体の成長ということはありえない。それは生命の一大原則なんですよ。ミトコンドリアなんて、もともと別の生物だったものを取り込み、共存したもの。だからこそわれわれは酸素呼吸ができるように進化した。セキュリティの問題にしても、がちがちに周囲をかためちゃう人は、生命原理からはずれている。インターネットって、生命というものがどう進化してきたか、という生命原理に近い事象を、人間の脳とか情報の領域におこすツールという感じがしている。

生命原理というのは、近代が追求してきた「管理する」などの機械論的な世界観にはなじまない。本当の生命原理は管理できるものではないし。オープンで自由にしておかないと、生命の輝きは生まれない。結局、インターネットが人類にもたらした新しい事態の背後に隠されたメッセージは、一つの生命原理ということだと思います。命を輝かせるためには、インターネットの偶有性の海にエイヤッと飛び込まないと駄目なんです。

『 フューチャリスト宣言 』(茂木健一郎 / ちくま新書)

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February 5, 2009

行動に結びつけてこそのロールモデル思考法

第一に、信号をキャッチできたら「時間の使い方の優先順位」を変えて、「勝負だ!」とばかりに好きなことに打ち込むことである。環境を変える前に「時間の使い方の優先順位」を変えること。時間の使い方を意識的に組み替えることは「違う自分」を構築することと等しい。

第二に、「時間の使い方の優先順位」を変えるにはまず「やめることを先に決める」ことである。それも自分にとってかなり重要な何かを「やめること」が大切だ。お正月の「今年の抱負」が大抵は実現できないのは「やめること」を決めずに、ただでも忙しい日常に「やること」を足そうとするからである。時間は有限なのだ。精神論だけで正しいことはできない。

第三に、「長期「なりたい自分」と短期「なれる自分」」を意識して、現実的であることだ。 「好きを貫く」ことは長期戦である。「なりたい自分」が仮にイメージできたとしても、すぐ明日にそれは実現しない。短期的には「なれる自分」を積み重ねな がら「時間の使い方の優先順位」を常に意識し、ロールモデルの引き出しも増やしつつ、こつこつと長期にわたってしたたかに生きること。「好きを貫く」ことと現実とのぶつかり合いの中で、「好き」とは違う次元で就職などの判断を下すことはままある。そんな判断をしてもそれで終わりだと思わないこと。たとえばオープンソース的に「志向性の共同体」に「気持ちだけ参加」して「好きを貫く」生き方もウェブ進化によって可能になる。そういう営みの中で、自分の直感を磨き、あきらめずしつこく自分の志向性を問い続けること。

物事がうまくいかず、悔しい思いをすることも人生では多々ある。そんなときは 「いずれ幸福に暮らすことが最高の復讐だ」「幸福とは、いつか自分が好きを貫いて生きている状態になることだ」とでも思って「負のエネルギー」を「正のエネルギー」に変え、「好きを貫く」長期戦を生きてほしいと思う。

『ウェブ時代をゆく』(梅田望夫 / ちくま新書)

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自分の志向性を細かく定義するプロセス

世に溢れる「人の生き方」や「時間の流れ方」に興味を持ち、それを自分の問題として考える。外界の膨大な情報の無限性を恐れず、自分の志向性と波長の合う信号を高速でサーチし続け、自分という有限性へマッピングする。波長の合う信号をキャッチできたら、「時間の使い方」の優先順位を変えてコミットして、行動する。身勝手な仮説でもいいから、これだと思うロールモデルにのめりこんでみる。行動することによって新しい情報が生まれ、新しい人々と結びつき、さまざまな試行錯誤をする中で、意欲や希望の核が生まれ、世界は広がっていくだろう。「好き」な対象さえはっきりすれば、ネットはそれを増幅してくれもする。個の成長とともに、ロールモデルはどんどん消費し新しくしていけばいい。どんな偉大な人物であろうと、自分のために消費してしまえばいい。探し、試し、客観視し、必要なら卒業し、動く。人生の局面に応じたたくさんのロールモデルの引き出しを持ちながら、それを灯台代わりに生きていくのである。

『ウェブ時代をゆく』(梅田望夫 / ちくま新書)

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ロールモデル思考法とは何か

「好きなこと」「向いたこと」は何かと漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう。頭の中のもやもやは容易に晴れない。ロールモデル思考法とは、その答えを外界に求める。直感を信じるところから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」「誰かの時間の使い方」「誰かの生活の場面」など、人生のありとあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分と波長の合うロールモデルを丁寧に収集するのである。

自分の内から湧き出てくる何かが具体的に見えずとも、「ある対象に惹かれた」という直感にこだわり、その対象をロールモデルとして外部に設定する。そしてなぜ自分がその対象に惹かれたのかを考え続ける。それを繰り返していくと、たくさんのロールモデルを発見することが、すなわち自分を発見することなのだとだんだんわかってくる。自分の志向性について曖昧だったことが、多様なロールモデルの総体として、外側の世界からはっきりとした形で顕われてくる。それが、そのときどきのゴールとなり「けものみち」における灯台となるのだ。

『ウェブ時代をゆく』(梅田望夫 / ちくま新書)

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January 29, 2009

「偶有性」は脳にとって、とても重要な栄養なんです。人間の脳はつねに偶有的なできごとを探しまわっている、と言うこともできます。インターネットが好きかどうか、ネットの世界の変化を受け入れるかどうかということは、偶有性に対する態度と密接に結びついている。この変化を嫌う人は、偶有性に満ちたネットがいやなのだろうと思いますが、他方で予想できないものが好きな人には、ネット以上の遊び場はない。

 だから、ネットはセレンディピティを促進するエンジンでもあると思う。もちろん、本屋でたまたま立ち読みしていて思いがけず何かに出会うということもあるけれど、インターネットはセレンディピティのダイナミクスを加速している。紙媒体はゆっくりなのに対して、ウェブははるかに高速です。

『 フューチャリスト宣言 』から茂木健一郎氏の発言
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January 14, 2009
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November 28, 2008
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November 25, 2008
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November 6, 2008
Quoted from devianART by tigaer
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