学会で外国に行くと、日本の常識が世界の非常識で、履歴書に一日の穴があくと真人間じゃなくなっちゃう、なんてことを考えているのは、日本以外には世界のどこにもないということに気づいた。あるとき、学会で会ったアメリカの大学の先生に聞いてみました。「あなた、いつも夏にヨーロッパの学会で会いますよね。僕は日本から四泊五日くらいで来ているけど、なんでいつも一ヶ月も滞在できるんですか?」
そうしたら、その人は、驚愕すべきことを僕に言った。そもそもその大学では、年間十ヶ月しか雇用関係がないんだ、と。正規の教授なのに、年間十ヶ月しか雇用関係がない。(中略)それで、ヨーロッパやアメリカには全然違う常識があって、「空白」が平気であることに気づいた。
(中略)
このギャップイヤーというのは、大学を卒業したあとに取ってもいいんです。日本だと、新卒プレミアムというのがあって、新卒の人が採用試験の場で優遇される。本当はおかしい。その人が優秀だったら、どんな経歴でも採るべきで、そうでないと株主に対して申し開きができない。単に大学在籍中で三月に卒業見込みだという人をオートマティックにとっていたら、ベストな人材をとれないじゃない。日本の企業システムはいろいろの面でおかしいんだけど、まあそれはおいておいて、イギリスでは大学を卒業してから就職するまでにギャップイヤーを取る人もいる。それからキャリアギャップと言って、仕事の節目節目に、一年くらいギャップイヤーを取る人もいる。
『 フューチャリスト宣言 』(茂木健一郎 / ちくま新書)
4 months ago
オープンにすることは、人によっては不安や恐怖の対象になる。自分というものをかたくなに守っているのが、一番楽なんです。でも、過去の歴史でそれなりに名をなした人というのは、みんなオープンにして、外界とのやりとりのなかで時にはぐちゃぐちゃになりながら、そこを乗り越えて、偉大なことをなしとげてきた。
要するに、オープンにして偶有的なプロセスでやっていかなければ、生命体の成長ということはありえない。それは生命の一大原則なんですよ。ミトコンドリアなんて、もともと別の生物だったものを取り込み、共存したもの。だからこそわれわれは酸素呼吸ができるように進化した。セキュリティの問題にしても、がちがちに周囲をかためちゃう人は、生命原理からはずれている。インターネットって、生命というものがどう進化してきたか、という生命原理に近い事象を、人間の脳とか情報の領域におこすツールという感じがしている。
生命原理というのは、近代が追求してきた「管理する」などの機械論的な世界観にはなじまない。本当の生命原理は管理できるものではないし。オープンで自由にしておかないと、生命の輝きは生まれない。結局、インターネットが人類にもたらした新しい事態の背後に隠されたメッセージは、一つの生命原理ということだと思います。命を輝かせるためには、インターネットの偶有性の海にエイヤッと飛び込まないと駄目なんです。
『 フューチャリスト宣言 』(茂木健一郎 / ちくま新書)
5 months ago
第一に、信号をキャッチできたら「時間の使い方の優先順位」を変えて、「勝負だ!」とばかりに好きなことに打ち込むことである。環境を変える前に「時間の使い方の優先順位」を変えること。時間の使い方を意識的に組み替えることは「違う自分」を構築することと等しい。
第二に、「時間の使い方の優先順位」を変えるにはまず「やめることを先に決める」ことである。それも自分にとってかなり重要な何かを「やめること」が大切だ。お正月の「今年の抱負」が大抵は実現できないのは「やめること」を決めずに、ただでも忙しい日常に「やること」を足そうとするからである。時間は有限なのだ。精神論だけで正しいことはできない。
第三に、「長期「なりたい自分」と短期「なれる自分」」を意識して、現実的であることだ。 「好きを貫く」ことは長期戦である。「なりたい自分」が仮にイメージできたとしても、すぐ明日にそれは実現しない。短期的には「なれる自分」を積み重ねな がら「時間の使い方の優先順位」を常に意識し、ロールモデルの引き出しも増やしつつ、こつこつと長期にわたってしたたかに生きること。「好きを貫く」ことと現実とのぶつかり合いの中で、「好き」とは違う次元で就職などの判断を下すことはままある。そんな判断をしてもそれで終わりだと思わないこと。たとえばオープンソース的に「志向性の共同体」に「気持ちだけ参加」して「好きを貫く」生き方もウェブ進化によって可能になる。そういう営みの中で、自分の直感を磨き、あきらめずしつこく自分の志向性を問い続けること。
物事がうまくいかず、悔しい思いをすることも人生では多々ある。そんなときは 「いずれ幸福に暮らすことが最高の復讐だ」「幸福とは、いつか自分が好きを貫いて生きている状態になることだ」とでも思って「負のエネルギー」を「正のエネルギー」に変え、「好きを貫く」長期戦を生きてほしいと思う。
『ウェブ時代をゆく』(梅田望夫 / ちくま新書)
5 months ago
世に溢れる「人の生き方」や「時間の流れ方」に興味を持ち、それを自分の問題として考える。外界の膨大な情報の無限性を恐れず、自分の志向性と波長の合う信号を高速でサーチし続け、自分という有限性へマッピングする。波長の合う信号をキャッチできたら、「時間の使い方」の優先順位を変えてコミットして、行動する。身勝手な仮説でもいいから、これだと思うロールモデルにのめりこんでみる。行動することによって新しい情報が生まれ、新しい人々と結びつき、さまざまな試行錯誤をする中で、意欲や希望の核が生まれ、世界は広がっていくだろう。「好き」な対象さえはっきりすれば、ネットはそれを増幅してくれもする。個の成長とともに、ロールモデルはどんどん消費し新しくしていけばいい。どんな偉大な人物であろうと、自分のために消費してしまえばいい。探し、試し、客観視し、必要なら卒業し、動く。人生の局面に応じたたくさんのロールモデルの引き出しを持ちながら、それを灯台代わりに生きていくのである。
『ウェブ時代をゆく』(梅田望夫 / ちくま新書)
5 months ago
「好きなこと」「向いたこと」は何かと漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう。頭の中のもやもやは容易に晴れない。ロールモデル思考法とは、その答えを外界に求める。直感を信じるところから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」「誰かの時間の使い方」「誰かの生活の場面」など、人生のありとあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分と波長の合うロールモデルを丁寧に収集するのである。
自分の内から湧き出てくる何かが具体的に見えずとも、「ある対象に惹かれた」という直感にこだわり、その対象をロールモデルとして外部に設定する。そしてなぜ自分がその対象に惹かれたのかを考え続ける。それを繰り返していくと、たくさんのロールモデルを発見することが、すなわち自分を発見することなのだとだんだんわかってくる。自分の志向性について曖昧だったことが、多様なロールモデルの総体として、外側の世界からはっきりとした形で顕われてくる。それが、そのときどきのゴールとなり「けものみち」における灯台となるのだ。
『ウェブ時代をゆく』(梅田望夫 / ちくま新書)
5 months ago